学問の神様菅原道真公

 2021/01/18

受験シーズン到来ですね。
コロナ禍通常通り開催されるか危ぶまれましたが、時間差・2日間開催など
感染対策をされ実施された様です。
毎年このシーズンになると受験生は勿論、ご家族の心中は穏やかではないと思います。
受験までの道のりは正に戦争(戦い)であると推測致します。
さて、合格祈願と言えば学問の神様が祀られている【太宰府天満宮】天神様参りですよね。

太宰府天満宮

天神様をお祀りする全国12000社の天満宮の総本宮【太宰府天満宮】

創建はおよそ1100年前。

右大臣であった菅原道真は左大臣藤原時平らの陰謀によって無実の罪で
都を追われ太宰府に左遷され、翌々年死去。
その死後、道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛舎がの門前で
動かなくなった場所が太宰府天満宮本殿辺り。

これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、
廟を建立(後の太宰府天満宮)
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、6年後菅原道真を左遷に追い込んだ
藤原時平が39歳の壮年で死去。
これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、後醍醐天皇の勅で
左大臣藤原仲平が大宰府出向き、道真の墓所の上に社殿を建立。
それでも「道真の祟り」は収まらず、皇太子保明親王が21歳で死去。
狼狽した朝廷は、道真の官位を生前の右大臣の官職に戻しました
しかしそれでも「祟り」が沈静化することはなく、保明親王の子供が皇太子と
なったものの、3年後の5歳で死去。
そしてついに、後醍醐天皇のもとで会議が開かれていた、まさにその瞬間、
貴族が居ならぶ清涼殿に落雷があり、死傷者が出る事態となってしまいました。

後醍醐天皇は助かりましたが、このときの精神的な衝撃がもとで床に伏せ、
その後死去するに至ります。
わずか30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇1人・皇太子2人・
右大臣1名以下の高級貴族が謎の死。
猛威を振るう「怨霊」は鎮まらず、道真には太政大臣の位と、本来は天皇・皇族を
祀る神社の社号である「天満宮」を与えられ、徐々に怨霊から神様へと変身して
いきます。
wikipedia参照

菅原道真公

道真公は、845年京都で誕生。
英才教育で幼少期より学問の才能を発揮。
わずか5歳で和歌を詠まれるなど、神童と称されたそうです。
その後努力を重ね、一流の学者・政治家・文人としてご活躍。
類まれなる才能の持ち主であり、人々から厚い信頼を得ていた。
それが菅原道真公であります。

なるほど。努力家であり勉強家であったあった道真公はまさに学問の神様に
ふさわしいと思います。

飛梅伝説

道真公が読んだ有名な和歌の一つ
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
意味
梅の花よ、春風が吹いたら匂いを寄越してくれ。
主人が不在でも春を忘れるな。

左大臣の陰謀で太宰府に左遷されてしまった菅原道真が京都の自宅にある
梅に向けて和歌を詠んだ後、残されていた梅はその返答として一晩にして太宰府に
飛来した。
これが飛梅伝説です。
この時代思いが飛んでくるのでしょうか。それとも信じることで想いが叶えられるのか。
不思議な出来事ですが、道真公祥月命日は2月25日。
緊急事態宣言が解除されていたら太宰府天満宮にて梅が枝餅を食べたいものです。

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