マチュピチュ遺跡とペルーの結婚式
南米にはまだ足を踏み入れたことがないのですが、
先日とある雑誌を見ていて、「マチュピチュ遺跡」に行ってみたかった。
ことを思い出しました。
天空の城とか、インカ帝国くらいしか言葉が思い浮かびませんが、
どんな遺跡だったのかを調べてみたいと思います。
後半はペルーの結婚式について書き進めたいと思います。
インカ帝国
インカ帝国はペルー、ボリビア、エクアドルを中心にケチュア族が築いた帝国です。
文字をもたない社会文明で、インカ帝国の遺跡「マチュピチュ」(世界遺産)から、
さらに1000mほど高い3400mの標高に首都クスコがあります。
富士山が3776mですからかなりの高さです。
1533年にスペイン人、コンキスタドールに滅ぼされるまでの約200年間帝国は続きました。
一攫千金を夢見たコンキスタドール(ピサロ)は、インカ帝国が黄金郷
(黄金で作られた都市)と信じ込み、ピサロはいったんスペインに戻り、
王室(当時はカルロス1世。後に神聖ローマ皇帝カルロス5世となる)からペルー支配の
権利証である「協約書」を手に入れます。
征服するため、故郷で120人の荒くれ男を募ってインカ帝国に向かい、
最終的には、傍若無人、魑魅魍魎とも言うべき大量虐殺を行ってインカ帝国をぶんどってしまいます。
結局は黄金郷でもなんでもなく、脅して金(キン)をぶんどり、
それを財政ひっ迫していたいたスペインに送り、全部溶かして金貨に作り替えたそうです。
やはりウィルスよりも人間の所業の方が怖い…。です。
マチュピチュ遺跡
1911年アメリカの冒険家、ハイラムビンガムが発見し世に伝えるまで、
マチュピチュは草木に覆われ、人知れず朽ちていた遺跡でした。
この集落は1450年ごろにインカ帝国第9代皇帝、パチャックテクの離宮として
建設された説や、巡礼の目的地説、太陽崇拝神殿説などがあり、実際には
集落の本当の名前も分かっていないそうです。
ちなみにこの集落には750人程度が居住していたと推定されています。
未だに解明されず多くの謎が残るマチュピチュ遺跡に行くには、
日本からの直行便はなく、アメリカかヨーロッパ経由になります。
<一例>
日本~アメリカの経由地(飛行機)
アトランタやヒューストンの経由地から南米ペルー首都リマへ(飛行機)
リマ~クスコ(飛行機)
クスコ~マチュピチュ村(電車など)
マチュピチュ村~マチュピチュ遺跡(車)
乗り物に乗っているだけで24時間以上。乗り継ぎも入れたら30時間以上なので、
往復に4日使うとして、10日は必要かもしれません。
体力・気力・勇気はあと何年もつだろうか。。。と考えてしまいました(笑)
ペルーの結婚式
ペルー人の役8割がクリスチャン。結婚式は教会で挙げるキリスト教式になります。
結納は結婚する前に女性側の実家で同居するというお試し婚で、期間は
半年から3年に及ぶこともあるそう。
これにはペルーの宗教的価値観がかかわっています。
「離婚は悪いこと」なので、結婚している人の割合が世界最低水準なんですって。
結婚式には2つの通過儀礼があります。
一つは教会でとり行われる「宗教上の結婚式」
二つ目は「民法上の結婚式」
市役所の職員の前で夫婦は愛を誓い、二人の証人が同席し一緒に宣誓することで、
法的に認められ、夫婦となります。
披露宴には招待客だけでなく、招待状がなくても自由に参加できます。
新郎新婦のファーストダンスに始まり、全員が踊り、踊り、また踊るスタイル。
列席者はご祝儀を用意しなくてよく、二人には贈り物を送ります。
パーティの食事、飲み物、ケーキ、デザートは両家がすべて用意。
その他二人の衣装、バンド、コーラスなども含めます。
費用は総額300万くらい。内容に違いはありますが、かかる金額は日本とあまり変わりません。
踊って、楽しく、神様に感謝を伝え、二人を祝福する。
天照大神が天岩戸に隠れたときも誘い出すのに、音楽と踊り。
神様はダンスが好きなのでしょうね。
東京丸の内で前撮りフォトウェディング
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結婚式や披露宴撮影は勿論、前撮り、フォトウェディング、
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誓いを残せる想い出記念写真。
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