鬼子母神(きしもじん)
良くいくお寺があります。
そこは安土桃山時代から信仰されていたという何とも古く、由緒あるお寺です。
そのお寺の名前は「雑司ヶ谷鬼子母神」
都電荒川線、現在は名前を変えて東京さくらトラムいわゆるチンチン電車「鬼子母神前」駅から
徒歩2分。副都心線「雑司ヶ谷」駅1番出口から徒歩3分のところにあります。
鬼子母神さま
むかしむかしあるところに、とても平和な村がありました。
大人たちはせっせと働き、子供たちは楽しそうに遊んでいました。
ある日、そんな平和な村に「鬼女」が現れるようになりました。
その「鬼女」は子供をさらったり、食べたりしてしまいます。
それは夕暮れに現れます。
村の大人たちは子供を失って悲しみにくれています。
ついに、村には、子供の姿がまったく見あたらなくなってしまいました。
困り果てた大人たちは、
「これは、お釈迦さまにおねがいするしかね!」
村の大人たちは意を決して、お釈迦さまがいる山へむかいました。
「お釈迦さま、お釈迦さま! たすけてくだせー!」
「おらたちの子どもを、とりかえしてくだせー!」
すると、光につつまれたお釈迦さまがあらわれて、
「あい分かった、なんとかしよう~」
お釈迦さまはお空から、鬼女の家の様子を見ることにしました。
ひとつの洞穴には、さらわれた子供たちがギュウギュウにおしこまれていて、
わーん! わーん! と、みんな泣いていました。
しかし、もうひとつの洞穴には、鬼女が産んだ子供たちが一万人いて、
鬼女は自分の子供たちだけをとってもかわいがっています。
それを見て、カンカンに怒ったお釈迦さまは、
鬼女の産んだ子供を一人手のひらに乗せて連れ去ります。
子どもがひとりいないことに気づいた鬼女は、号泣。
「あたしの子がいない! あたしの子がいない!」と、
泣きながら辺りを捜しまわっていると、お釈迦さまが現れました。
「お釈迦さま! どうしましょう、あたしの子供が一人おらんのです」
鬼女は、お釈迦さまに泣いてすがりました。
けれどお釈迦さまは、ゆっくりとかたりかけます。
「おまえは、一万人も子どもがいるのに、一人でもいなくなるとそれほど悲しいのか」
鬼女が、首を何度もたてにふると、お釈迦さまはつづけました。
「それならおまえから子を奪われたのも、同じように悲しいのがわかるであろう」
お釈迦さまにそう言われると、鬼女は、大粒の涙をとめどなくながしました。
その様子を見たお釈迦さまは鬼女に子どもを返してやりました。
そのあと、鬼女も、村へすべての子供をもどしにいきます。
「あたしが悪かった!、あたしが本当に悪かった!!」
深く反省した鬼女は、その後、お釈迦さまの弟子となり、
鬼子母神(きしもじん)とよばれる、安産と、子どもを病気からまもる神さまになったそうな。
雑司ヶ谷鬼子母神堂
室町時代、雑司ヶ谷の役にあった柳下若狭守の家臣丹右衛門が目白台の地より、
鬼子母神(きしもじん)像を掘りだし、お像を清め、寺に納められました。
その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代「稲荷の森」と呼ばれていた
現在の地に、村の人々がお堂を建て今日に至ります。
ちなみに現在のお堂は、徳川4代将軍家綱の代に、加賀藩主前田利常公の娘が建立。
昭和35年に東京都有形文化財に指定。
昭和51年から54年にかけ、江戸時代の姿に復元する大修理が行われ、
平成28年7月国指定 重要文化財になっています。
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